BRRAAバンコク事務所&オムコイレーダーデータ収集
2007年2月27日-3月4日
[2月27日]
- 熱がまだ完全には取れない。朝も37.3度。このまま上がらなければいいと思いながら家を出る。インフルエンザだったら出張も昨日の学部入試監督もやめられたのだが、幸いにも(?)インフルエンザではなさそうということでした。
- 飛行機は結構混んでいる。さすがにまだ学生さんが多いという感じではない。熱が完全に取れるまでアルコールを飲まないでおこう。でも、このタイ出張の間にシンハを飲む事ができるのだろうか?
- ボーとしているが、今日早く寝るために明日のパワポを作っておく。横井さんのおかげで充実した内容になる。多謝!
- 新空港からマルアイ(タイではマルュィという感じの発音らしい)までタクシーで320B。400位かかるかと思ったらちょっと安かったので嬉しい。時間も1時間かかっていない。高速が快適なのと地道もそれほど混んでいなかったので助かった。でも明日は15時過ぎのフライトだから、13時前にはこっちを出ないと。ちょっと忙しいですね。
- お腹が余りに空いたし、早めに寝るためにも5時半だったけどマルアイの前のIvory Kitchenで夕食。時間が早いから客は私だけ。この店も長い。GAME IOPの時からあった筈で、もう10年はあるのだろう。名前も内装も洋食っぽいけど出す料理はタイ料理。今日はカオパッグンにカイ・ツゥン・タレー。このタレーは初めて注文したけど、海鮮茶碗蒸しでした。薄味でスも入れずにうまく蒸してある。美味しい。ミネラルウォーターとで〆て101B。初日は満足の夕食。
- 夕食からの帰りに「部屋から外に電話が繋がらないよ」と文句を言ったら「ラインを開けます」といわれた。久しくいわれた事が無かったけど、そういえば要求するまで開けないホテルがありました。単に私の入った部屋が久しく客を入れてなくて閉じてあっただけかしら。エレベータの隣なので、うるさくないか心配だったけど、今のところ大丈夫です。その後、部屋に帰ったらちゃんと外線に繋がった。ああ、これでメールを見てしまう・・・
- でもさっさと風呂に入って、こちらの8時過ぎには就寝です。熱よ去れ!!
[2月28日]
- 薬のおかげもあってか10時間近くぐっすりと寝る。それでもまだ2時間近く起床まであったので2度寝。大分体は軽くなっているけれど、どっかに鉛がまだ入っている感じがある。
- 朝食はプレーンお粥にソーセージの薄切りと漬物(らしい野菜)、それにオムレツとパイナップル。こう書くとたくさんな感じがするけれど量としては大した事ない。それでもとりあえず満腹。
- 部屋に帰ってプレゼンの復習。横井さんの雨量推定の話をまだ良く頭に入れてなかったので大急ぎで詰め込んでおく。一通り終わったところでWarawutさんが来る時間になった。チェックアウトしてロビーで待つ。
- 時間通りにWarawut氏が来てくれる。かれはRain Making sectionのトップで、その上はBureauの長官という事だから、No2になる。一時は左遷されたという話が伝わったがそうではなかったのか、それとも復活したのか。どちらにせよめでたい事である。
- 10時からセミナー開始。約40分話をする。MITでPhDを取ってチュラに来たという若いスタッフもいてそれなりに質問も出る。Cressmanの内挿と線形内挿とどちらが良いのだという質問にはうまく答えられなかった。気象の客観解析ではCressman内挿が良く使われるが何故線形内挿ではないのか。誤差の特性と何か関係があるのか。やはりこの辺が専門ではないから知識が深くないですね。機会があったら勉強しておかなくては
- カセの中の食品学部(らしい)の中の食堂でWarawut主催の昼食。Hansaさんのところの学生さんが食料を運んでくれる。家庭料理のような感じのあっさりとした味付けで健康的な感じがするのは気のせいか。白米の他に茶色の米もあったのがおもしろい
- 13時過ぎにBRRAAを出発して空港へ。今回はWarawut氏がOmKoiまで来てくれるというので、一緒の飛行機でチェンマイへ向かう。BRRAAのNo2に同行頂くとは恐縮である。
- チェンマイ空港で荷物が出るのを待つ間に今後の協力体制について話をする。以下のようなところに落ち着いた:
- 今現在研究できる体制にBRRAAがなっているわけではない
- BRRAAの周りに(?)大学の研究者などでレーダーデータを使っていこうという機運が出ているが、レーダーの専門家がいるわけではない。
- よって、レーダーデータの扱い方や解析の初歩から始め、次第に研究できる体制に持っていきたい。
- 解析の手法やソフトの提供などの協力を第1歩として始めるのが良い。
- 空港には既に横井さんが到着してお出迎え。メーサリアンから来たとの事。お疲れさんです。ここで私は横井さんと一緒に横井さんが使っていた車でホテルへ。Warawut氏は知り合いの車でどこかへ、と別れる。
- 横井さんの車はチェンマイを知らないらしく、迷い迷いしてたどり着いたらホテルはImperial Mae Pingの裏のnight bazaarに面したホテルでした。ホテル自体はなかなかだけど、部屋がクーリングタワーに面していて最悪。飛行機の中にいるようにうるさいけど、一定の騒音なので気にしないようにすれば何とかなりそうである。
- 2人で夕食はRiverSideへ。アルコール(ビール)を久しぶりに飲むが、恐る恐るなのでそれほど美味しくない。体調もまだ完全ではないのかも。でも、ジョッキ2杯を空けて料理とチップとで〆て900B。大散財ですね!
- 200Bで1時間のWirelessLanのアクセス権を買う。電話線が電話機に固定なので他にどうしようもない。まあ快適に使えたからいいけれどねぇ・・・夜の11時頃までにその1時間は使い切ってしまいました。常時接続に慣れているとその辺りの感覚が鈍くなっています。
- まだ本調子でないと自戒して、12時過ぎに就寝
[3月1日]
- 7時過ぎに起床。朝食はまたお粥にしたけど今度はちゃんと薬味や醤油を見つけられたので、美味しいお粥でした。野菜サラダと果物を横井さんと向かい合って摂って長い1日の始まり。
- 9時頃Warawutさんが迎えに来てくれる。翌日はThadaさんが昼頃来てくれる算段を彼が取りつけ、自分は今日の夜に戻るというので、昨日慌てて予約した今日の夜の部屋をキャンセルした。幸いカード手数料だけでキャンセルは成立。
- ピックアップトラックに乗って9時半頃までにチェンマイを出発。12時前にはオムコイ村に到着して昼食。雷魚の炒め煮、蒸し鳥、ともう1品。それに鳥スープ。鳥スープがあっさりしていて美味しい。Warawutさんが払ってくれる。
- レーダーサイトに上がって作業開始。2人とも順調に始まる。
- Om Koiの位置(HandyGPS測定):北緯27度47.891分、東経98度25.925分、標高1127m
- 最近のデータのヘッダーに書かれている位置情報が古いのと違う事を横井さんが発見。古いのは上記とほぼ一致。新しいのは例えば47.891分ではなく47分9秒とか。まさかGPSの数字を新しい方は読み間違っているのではないでしょうね
- Warawutさんがうまくコピーできたか見せて欲しいというので、横井さんの方に必要なライブラリを入れてquick lookを見てもらうと、満足そう。サイトのalphaにもsample dataと一緒にインストールしておいてくれと依頼される。時間を見つけてやってみようという事になった。
- 2006年の雨季はレーダーの調子が悪くてデータがない事が判明!!5ー8月の美味しいところがすっぽり抜けている。なんということ。ぜんぜんメーワンの観測と合わせられないじゃない!!
- しかも、やっと観測が始まった9月以降のテープはそれらだけ60mのテープになっている。これでは持ってきたドライブでは読めない。結局5月以降のデータが全然持って帰れない事になるのでMae Wangの検証には使えないではないですか。あらららら、何のために来たんでしょう(涙)
- Warawut氏に2006年がこれでは使いにくいので2005年もコピーさせてくれといったらOKした。Mae Wangの検証には使えないが、まあ、少しずつデータをためていきましょう。
- 2001年のデータのコピーは終了していた。Kasemさんが一応Warawutさんの許可をとておいてくれというので、OKをもらい、データを受領。結構な嵩だけど大事なデータである。
- 17時半頃夕食へ。途中、Kasemさんの家による。中腹の村の中の立派な家だった。母屋のテラスを囲ったようなところで奥さんが子供たちに絵を教えている。Kasem本人は別の竹で作った小屋のテラスで算数を教えている。子供たちは楽しそうにしていて、Kasemさんは人気者のようである。人当たりも良いし良い先生だろう。って、これ副業?
- 夕食はイサーン料理の食堂に。Kasem本人はUbon Rachatani近くの出身だとか。食堂の主人はイサーン出身で農業をしていたのをやめてここで食堂をしていると、Kasemが解説してくれた。豚肉のトムヤム、豚肉と野菜炒め、ミンチと野菜炒め、それにカオ・ニャオ。手も洗わないで糯米は手で握って食べる。最初の内は糯米の色を我々の胃もこちらの衛生状態に慣れているのか文句も言わずにどんどん受け入れてくれる。〆て150Bだったが、今回もKasemさんが払ってくれた。Warawutさんはともかく、彼に払ってもらうのは申し訳ないが、こちらの申し出を固辞されたのでお願いした。
- 22時頃、今度は横井さんが持ってきたドライブがテープを噛んでしまい、テープと共に使用不能に。幸い冬の時期だったのでテープがだめになってもまだ怒られないのではと期待するが、明日職員が出てきてから、Kasem(ターザン)さんの目の前でテープを切ろう。
- 0時頃までコピーをして今日の作業は終了。2005年の7月11日まで終わった。
[3月2日]
- 6時半起床。朝方寒くて目が覚める。もう一枚毛布を重ねたがまだ寒く、持ってきた上着も上半身にかけてやっと暖かくなった。いきなり発発が動き出して驚く。どうやら瞬断があると自動的に発発が起動するらしい。立派なもんだが、発発が動くまでの数秒の停電ぐらいならレーダーを動かし続ける巨大なUPSを立派というべきか。それにしても瞬断が多い。1〜2時間に1回あるのではと思うぐらい瞬断(といっても数秒は電気が落ちている)が多いのによく計算機関係が壊れずに動いているものだ。
- 7時頃から作業開始。
- 8時前に朝食に呼んでくれる。横で一緒に食べているのは、住み込みの職員家族らしい。若夫婦(アカ族の夫とカレン族の妻)と幼稚園ぐらいの子供、それに祖父らしい男性。誰が職員で誰が単なる家族なのか、もひとつ良く分からない。
- 朝食は豪勢で、空心菜と肉の炒め物、ココナツミルクの酸っぱいスープ(骨付き鳥肉入り)、野菜炒め、御飯。奥さんが片言の英語をしゃべるので、少し会話をしながら食事する。
- 9時半頃Kasemさん現る。テープが噛んだ事を話すと、横井さんにケースを開けさせとってきた木の枝でテープを引きずり出してしまった。お見事。横井さんの顔が晴れやかになりました。さらにケースからだらしなく垂れていたテープを鉛筆を使って器用に収めてしまう。さすがに一見正常なテープにしてしまうと今度読む人が地雷を踏むと思うのだけれど・・・
- でてきたKasemさんはそのあとパタパタと仕事をしているので、60mテープの相談がなかなかできない。もう11時過ぎなので、60mテープの変換は無理かも(号泣)。2005年は何とか終わるだろうか。
- そうこうしている内に昼食の時間。今回も住み込みの奥さん(夫婦共職員だそう)お手製のおかず2皿。Kasemさんは休みになると数十km離れたところへ電気工学の勉強に行っていると話していた。往復のガソリン代より安いので向こうにも家を借りているらしい。BRRAAの職員はタイではエリートなのかもしれない。
- 2005年の最後の数本になって私の方のドライブも異音と共にテープを読まなくなった。幸いテープを噛んではいなかったので排出ボタンで排出できたが、以降、クリーニングテープもまともに動作しない。仕方ないのでここであきらめる。数えてみれば今日1日だけでかなりの本数を読ませたからねぇ。
- Kasemさんが2005年の最後の数本と2006年の後半のデータテープのコピーを申し出てくれたのでお願いする。とことん親切な人だ。まずこちらから90mテープを30本送って、それにコピーしてもらうことに。
- そのとき、ちょうどタダさんが到着。タイ南部のRIDの職員を引率していて、見学もかねてとの事。珍しそうにレーダーの説明を聞いていた。タダさん達はその後ちょっと休憩し、我々を乗せてチェンマイへ。昨夜の睡眠が少なかったので車の中で爆睡する。
- ホテルには6時頃着。昨日キャンセルした部屋の予約金を返してもらって、急に金持ちになった気分。
- バザールの市場広場へお魚を食べにいく。前回見つけた所へ行こうと思ったら、広場が大改装され、食物屋街が衣料品街に生まれ変わり、別の場所が一大お魚屋さん街に変わってしまっていた。なので、前の店を見つけられず、かといって呼び込みの激しい観光客相手が見え見えの何となく白々しい店に行く気にもなれず、結局昔からの海鮮屋さんにいく事に。牡蛎の炒め物、ヤム・タレー、横井さんご希望の海老の黄色カレー、蒸しナマズの梅酢スープ、ビール3本に御飯で〆て920B。う〜ん、やっぱり高く付いたけど、おいしかった。味は安心できますね。しかし、乾季だからかやたらめったら観光客が多い。ほとんどが白人。仕事で来ている身としては、もうちょっと違う場所で観光してよ、といいたくなる。
- 帰りにスナック類のお土産を買って、ホテルへ。今日の一日は終り。
[3月3日]
- 7時にwake-up callを頼んでいたのに、かかってこない。自分の携帯目覚ましで起きたから良いものの、当てにならんなぁ。
- 9時前にThadaさんが迎えに来てくれる。AITの修士の学生さん(といってもRID灌漑部門の職員。ちなみにThadaさんはRID水文部門)も一緒。
- まず寄進式の行われるWatへ。数十mの丘の上の小さな寺院である。上に上がるとひらひらしたものが一杯飾ってあっって、横井さん曰く「七夕みたい」。
- 前BRRAA局長のUtaiさんに会う。昨日ThadaさんはWatanaさんが寄進を行うといっていたが、どうやらUtaiさんの間違いだったらしい。Utaiさんが今顧問をしている農業基準局の局長さんやら農業省のinspector(どの程度の階級か良く分からないが、麗々しく紹介された)やらに紹介された。その後、主賓のUtaiさんに並んで座る。えらい事になりつつあるぞ。
- Utaiさんに聞くと、この寺を寄進先に選んだのは100年以上の歴史が有り仏舎利塔もあるのに建物が少なく寂れていたからだそうな。寄進額は数十万バーツとか。1人の寄付ではなく、寄付の音頭取りをしたという事なのだろうか。また、今日を選んだのは、3月3日はブッダが(最初に?)説教をした日だからそうな。どうやらタイでは祝日らしい。
- 最初に極く簡単なタイダンスが披露された後、式典開始。お経ばかりだからまあ、日本の法事のような雰囲気。もっともめでたい式だから皆さん顔は明るいけれど。お経の間中合掌している事になるが、ずっと合掌するにもそれなりのポーズというか姿勢がないと肩や腕が疲れる事が分かった。ひじを引きつけ、合掌した手のひらも体に近づけるという、らしい格好が疲れにくい事が分かった。それなりに合理的なポーズだったのね。
- 一連のお祈りが終わった後、十人ほどいるお坊さん一人一人に寄進物を献上する儀式。なんと恐れていた通り私の名が呼ばれて寄進せよと。ここで断るのも雰囲気悪いから、見様見まねで寄進する。様になっていなかったのだろう、もらうお坊さんが笑っていた。まあ、しょうがない。これで1時間ほどの儀式が終了。Utaiさんに来てくれて有り難うといわれ、こちらも招待いただいた礼を述べて別れる。
- MaeWangを見るといっていたけど、時間が押してきたからかパスして帰り道のカオソイ屋で昼食。30Bで美味しかったけど、麺の量が極端に少なかった。皆2杯ずつ食べる。Thadaさんのおごり。タイではなかなか払わせてくれない。
- 鍵を忘れたとかで、Thadaさんの自宅による。住宅地全体が柵で囲まれていて入口には警備員。なかは絵に描いたような瀟洒な住宅街で、庭付きの立派な2階建てがご自宅でした。日本の平均以上の作りと広さ。なかも白を基調にすっきりセンス良くまとめられていて、住宅広報パンフに使えそうな室内である。壁には40インチはありそうなプラズマディスプレイとサラウディングサウンドシステム。2年前に1500万円ほどで購入したということだが、Thadaさんはお金持ちだったのね。
- RIDにいくが誰もいないうえ(祝日で土曜だから)、机の上に何も無く、まるで誰も働いていないよう。日本に学んで5S(整理、整頓、清潔、・・・)を実行させているということをThadaさんが教えてくれた。それに比べて日本人の机の上は汚いよね。
- ThadaさんのOfficeでまず学生さんが自分の研究の話を。なんとTMDのレーダー画像からdBZ情報を抜き出して何らかの移動を施し、1時間予報成績を見ている。Visual Basicでプログラムを組んでgifを読込み、凡例の色と比べるというすごい事をしている。まいりました。移動の話は良く分からなかったが、プログラムの腕はありそう。何かの間違いのような絵があったり、仰角17度をとってきている(本当か?)など、まだまだの点はあるけれど、ちゃんとレーダーの知識が付けばそれなりの事はしそうだ。
- Thadaさんがこちらでしているプレゼンの一部も見せてもらい、貴重な災害の様子が映っているので頂いて帰る。2005年の5回の洪水の内、7月31日〜8月1日と9月19〜28日のは同じような環境場で起こったので、2回目の予報と警報はうまくいったそうな。その他にも、2006年5月23日や10月9日にもチェンマイや北タイで大きな洪水が起こっている。
- その後、横井さんにもプレゼンをしてもらって、時計を見ると16時前なので空港へ送ってもらう事にする。
- 新しい空港ビルでチェックインし、前の食堂でビール(シンハが無かった!!)とタイ料理で夕食。トートマングンを頼んだら豆腐のようなものが出てきて何じゃこれ、と思ったが全体に味は良い。3皿にビール3本で500B。昨夜の半分。やはり街中は高い。
- これで今回の出張は終り。あとは関空への飛行機の中で如何に眠るか、です。