Lao気象事情
2003年11月4日
- ビエンチャンの本局の敷地に72名,全国に120名ほどの職員
- 9月から天気図を書くのをやめ,PC上の表示を使っている。以前のPCでプロット+手書きの等値線方式は,プロッターが壊れているのでだ
め。手書きでプロットするには手が足りない(そうかなぁ?)。現在,例に漏れずディスプレーが壊れている。つまり,壊れた9月ごろから通常回線での天気図
無しで業務をしている。インターネットで各種予報図(NCEPの5日積算雨量もあり),衛星写真を探してきて間に合わせている。
- 露場は広々としていて,フランス,イギリス,オーストラリア,日本の援助による自動観測ステーションが立てられているが,動作しているの
は日本のもののみ(これも,本当に動いているのか?)。1つのステーションの中を開けてもらったらアリの行列。その他,虫や小動物が配線をだめにするのだ
とか。結局,昔ながらのアナログ測器で観測を継続。これらのアナログ測器の整備はきちんとしている。雨量計は,貯水式,サイホン式自記,転倒枡の3種類あ
り。転倒枡はロガーにデータを入れてPCで読み取るとのこと。地中温度は1m,50cm,40cm,25cm,10cm,5cmの6深度で測定。百葉箱の
なかに,下を濾紙(?)で栓をし,水位の下降で蒸発量を測定する蒸発計もあった。
- 全国17ヶ所で全項目観測(総観観測点),その他,18ヶ所で(圧力や日射項目の無い)観測
- 予報課は4名の予報官と10名の現業班員で構成。予報課といいつつ,日本の通信課の役割もあり。各観測点からは電話や無線でデータが送話
される。総観観測点からは3時間毎,その他からは1か月まとめて12時間毎のデータが送られる(一部は3時間毎のデータもあり)
- ロシアで教育を受けて修士や博士の学位を持っている職員が何人かいる。以前はフランスで教育をさせたらしいが,ある時期以降はロシアやベ
トナムに送るようになった(Palikone談。本人はロシアの水文Ph. D)
- JICAの気象研研修を何人もの職員が受けている。毎年1人送っているとのこと。今年も現在研修中。
- DMHの初任者研修は6ヶ月。本局の敷地内に研修センターがある。DMHのルーチンに入っている職員が交代で教師を務める。中間研修は2
年間(!)全国から30人程度の職員を集め,研修させる。それが終われば,次の研修員を受け入れるが,予算によってすぐに受け入れるかどうかは不定。
- ビエンチャンの洪水予測は上流の地点の水位とビエンチャンの水位との相関で行っている。2日のリード時間あり。
- 主な災害は,洪水(毎年)と干ばつ(時々)。洪水はモンスーン雨期と台風によって発生。台風は低圧部に衰弱したものがラオス上に停滞し,
南西風を強化することによって豪雨となるとのこと。しかし,死者の数を聞くと,5名程度らしい。大陸の洪水らしく,ゆっくりと水位が上がるため?ただし,
広範囲に浸水するので物的損害が大きい(2002年8月,ビエンチャン部で3万haの水田が被害)
- 不足しているもの:現況がどうなっているかのデータ。山岳部には測定点もない。町や村以外の地点に観測所を設置するには基礎のインフラも
予算もない。レーダーなどのリモセンも無い。これらのデータ不足のため,予報をしてもどの程度当たっているのかいないのかの検証も不可能。
- 予報は,現況の地上や高層天気図,各国の数値予報天気図をもとに,24時間〜週間予報までを行っている。
- 高層観測は1975年ごろからしていない。当時はヴァイサラ製の手動追尾式。大分以前にやめたために,会議出席者(課長レベル)の誰も高
層観測の経験なし。水素なども国内で入手可能かどうか不明。(80年代の一時期,観測をしていたという話もある)
- 国内の気象関連のすべてはDMH。建設省その他はユーザー(お客)
- 職員の能力向上のため(capacity
building),インドネシアの国際夏季大学に若手の職員を送ることには意欲的。招待できるかどうかは予算の制限もあって不明だが,情報を流すことは
約束。また,DMHとして地震部門を設立する企画があるので,日本への留学も含め検討したいとのこと。こちらは,大学院の入学と大使館推薦の奨学金制度を
紹介。
- 人名録:Nitharath SOMSANITH(長官),Khanmany
KHOUNPHONH(技術課長),Palikone,Sithanh SOUTHICHACK(予報課長),Singthong
PATHOUMMADY(通信課長),THALONGSENGCHANH(技術課長代理)
- 会議出席者,Sithan(技術課長),Savenee(?,女性,予報課),Singthong(通信課長),
Sintowa(?, 通信課長代理),Dancho(?, 課長代理補佐)